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ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(6)宇宙少女がAV界を席巻した | アサ芸風俗

ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(6)宇宙少女がAV界を席巻した

ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(6)宇宙少女がAV界を席巻した

2013/06/12

ビデオ・ザ・ワールドが見た“AV30年盛衰史”(6)宇宙少女がAV界を席巻した

 宇宙企画は数多くの美女を輩出した。早川愛美、秋元ともみ、麻生澪、小森愛といった人気アイドルたちは、「宇宙少女」と呼ばれ次々とヒットした。

 そんな宇宙少女たちをグラビアで取り上げたのが、宇宙企画の兄弟会社だった英知出版だった。

「当時は宇宙と英知はきっちりと分かれてという感じじゃなかったですね。同じビルの同じフロアでやってたから一緒の会社で、こっちはビデオ部、あっちは雑誌部みたいな感じでした」(前出・さいとう氏)

 英知出版は、のちに宇宙少女をグラビアの中心に据えた雑誌を次々に創刊。84年に「べっぴん」と「ビデオボーイ」が誕生した。宇宙少女たちは、AVデビュー前に、雑誌でグラビアデビューを飾り、そこで人気を確立したところで、満を持して宇宙企画からビデオを販売するという手法で、次々とヒットを連発した。

 しかも、デビュー後もグラビアや連載コラムなどで誌面でも活躍するといったマルチメディア的な戦略で、彼女たちは息の長い人気を保ったのだった。

 中でも87年に発売されたかわいさとみの「ぼくの太陽」はAVでありながらオリコンのビデオチャートベスト10入りするほどのヒットを記録。彼女が登場した「べっぴん」や「ビデオボーイ」といった雑誌も20万部以上を発行するなど、80年代後半は「宇宙企画=英知出版」の黄金時代だったと言えよう。

 しかし、宇宙企画の躍進を横目に、他メーカーも黙って見ているだけではなかった。ルックスのみならず、過激なプレイを見せるAV女優が次々と登場するようになった。そうなると、あくまでソフトな内容にこだわっていた宇宙企画にも人気のかげりが見えてくるようになった。さいとう氏が話す。

「そうなると宇宙でも過激な方向へ路線変更という話が出てきたんです。その頃、ちょうど宇宙と英知が会社として分かれるということになったので、僕は英知に行ったんです。宇宙でセックスシーン撮るよりも、英知でイメージビデオを撮るほうがいいと思った」

 さいとう氏は、主演の小森愛が、泉谷しげるの「春夏秋冬」を口ずさみながらクラスメートを撲殺していくという衝撃的なラストシーンの作品「廊下は静かに」(90年)を最後に、AVを離れ、英知出版でイメージビデオを撮り続ける道を選ぶ。だが、さいとう氏にはAVに対する思いがあった。

「イメージビデオだと、AV雑誌で取り上げてもらえなくなったのが寂しかったね。AVを撮っていた当時、雑誌での評価は結構気にしてましたよ。『ビデオ・ザ・ワールド』なんかだと宇宙は目の敵にされて『また宇宙のお決まりのパターン』とか書かれたりしてましたけどね。でも、けなすにしても、ちゃんと見て書いてるっていうのがわかるでしょう。資料だけ見て適当にほめてる紹介記事よりもよかったですよ」

◆フリーライター 安田理央