奈良「騒音おばさん」裁判傍聴ファイル(2)自宅は針金と鉄条網が張られて… ツイート 2013/09/25 鈴木家より少し遅れて引っ越してきた住民が、たまたま挨拶に来なかったことに鈴木さんは激怒した。そしてその家族に対し、庭園に設置する常夜灯や自動車の駐停車位置などを巡って猛抗議を繰り返すようになった。〈大声で『クルマを停めるな』などと怒鳴り、用事もなく被害者のインターフォンを鳴らしたり、裏木戸を叩くなどし、さらには無言電話をかけ続け、また被害者の姿をみるや、『パンスケ、売春婦』などと罵った〉(冒頭陳述書より抜粋) 嫌がらせはさらにエスカレートしていく。96年頃からはCDラジカセを大音量にして音楽を流し、それを24時間継続するなどした。もちろん抗議を受けても、聞く耳は持たない。 その他に自動車のクラクションを鳴らし続けたり、〈近所のインターフォンにボンドを詰めて、使用不可能にする〉(同)ことも。 また顔を合わせようものなら、歯茎を剥き出しにしてこう罵るのだった。「犯罪者!」「地獄に落ちろっ」「お前んとこの喧嘩、いつでも買うたる!」 もはや常識など通用しなかった。コトここに至れば、事態は町内会や住民一同の枠を越え、自治体や警察の出動を仰ぐことになる。 98年頃から行政の福祉関係者、警察など、あらゆるチャンネルを通じ、騒音を抑制するよう働きかけが行われた。 しかし鈴木さんは、〈耳を貸さなかった。また警察も02年6月頃から警察車両のマイクロフォンで再三にわたり警告したが、警察官が立ち去ると、また元の音量に戻して警告を無視した〉(同) そして04年8月、裁判所が仮処分命令を出したが、それでも無視を決め込んだのだった。 やがて逮捕劇へと事態は発展していったのである。〈被告人(鈴木さん)には明白な証拠があったとしても、これを否認し、徹底的に争うという否認癖が認められる。捜査段階において、自分が夫や息子の病気の世話などで気がたっているときに訴訟を起こされて、その対応をしなければならなかったことに対する怒りを述べており、報復をほのめかしている〉(論告要旨より抜粋) 一連の裁判で、鈴木さんは情状証言を願い出てきた親戚をも拒否し、一段と孤立を深めていた。 数年前、筆者は鈴木さん宅に足を運んでみたことがある。07年夏に服役を終え、人知れず自宅に戻ったと聞いたからだ。 冬のすがれた風が吹きつのる、寒い午後だった。築後30年ほどの和風建築。外壁は風雨にくすみ、窓という窓、カーテンというカーテンが閉めきられ、裏庭の雑草も伸び放題になっていた。玄関に回り込むと、玄関先が不自然な木の柵で覆われ、鉄製門扉の両脇に2台の防犯カメラが据えられている。 そして木の柵と庭木の間に張り巡らされた針金と鉄条網。それは明らかに素人の手作業によるもので、そのいびつな光景は見る者をして寒々とした印象を与えずにはおかない。 白湯のような日ざしが、鉄条網の残る家の周囲に降り注いでいた。呼びかけてみたが、返事はついぞ返ってこなかった。結局、彼女には会えないまま、手紙を残しただけで退散するしかなかった。 どうやら鈴木さんは、今も逼塞〈ひっそく〉するようにして、この家で暮らしているようだ。家族の看病がどうなったのか、近況はうかがい知れない。もはや鈴木家とつきあいのなくなった地域住民だが、中には常識人であった頃の彼女をよく覚えているという人もいるのだが‥‥。◆ジャーナリスト 中尾幸司 タグ: あの凶悪&異常犯罪「裁判傍聴ファイル」,奈良,週刊アサヒ芸能 2013年 9/26号,騒音おばさん エリア選択 北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川 新潟 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知 三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山 鳥取 島根 岡山 広島 山口 徳島 香川 愛媛 高知 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 韓国 [熊本県] [北海道] [長野県] [福島県] [石川県] [愛知県] [栃木県] [静岡県] [静岡県] [北海道]
鈴木家より少し遅れて引っ越してきた住民が、たまたま挨拶に来なかったことに鈴木さんは激怒した。そしてその家族に対し、庭園に設置する常夜灯や自動車の駐停車位置などを巡って猛抗議を繰り返すようになった。
〈大声で『クルマを停めるな』などと怒鳴り、用事もなく被害者のインターフォンを鳴らしたり、裏木戸を叩くなどし、さらには無言電話をかけ続け、また被害者の姿をみるや、『パンスケ、売春婦』などと罵った〉(冒頭陳述書より抜粋)
嫌がらせはさらにエスカレートしていく。96年頃からはCDラジカセを大音量にして音楽を流し、それを24時間継続するなどした。もちろん抗議を受けても、聞く耳は持たない。
その他に自動車のクラクションを鳴らし続けたり、〈近所のインターフォンにボンドを詰めて、使用不可能にする〉(同)ことも。
また顔を合わせようものなら、歯茎を剥き出しにしてこう罵るのだった。
「犯罪者!」
「地獄に落ちろっ」
「お前んとこの喧嘩、いつでも買うたる!」
もはや常識など通用しなかった。コトここに至れば、事態は町内会や住民一同の枠を越え、自治体や警察の出動を仰ぐことになる。
98年頃から行政の福祉関係者、警察など、あらゆるチャンネルを通じ、騒音を抑制するよう働きかけが行われた。
しかし鈴木さんは、
〈耳を貸さなかった。また警察も02年6月頃から警察車両のマイクロフォンで再三にわたり警告したが、警察官が立ち去ると、また元の音量に戻して警告を無視した〉(同)
そして04年8月、裁判所が仮処分命令を出したが、それでも無視を決め込んだのだった。
やがて逮捕劇へと事態は発展していったのである。
〈被告人(鈴木さん)には明白な証拠があったとしても、これを否認し、徹底的に争うという否認癖が認められる。捜査段階において、自分が夫や息子の病気の世話などで気がたっているときに訴訟を起こされて、その対応をしなければならなかったことに対する怒りを述べており、報復をほのめかしている〉(論告要旨より抜粋)
一連の裁判で、鈴木さんは情状証言を願い出てきた親戚をも拒否し、一段と孤立を深めていた。
数年前、筆者は鈴木さん宅に足を運んでみたことがある。07年夏に服役を終え、人知れず自宅に戻ったと聞いたからだ。
冬のすがれた風が吹きつのる、寒い午後だった。築後30年ほどの和風建築。外壁は風雨にくすみ、窓という窓、カーテンというカーテンが閉めきられ、裏庭の雑草も伸び放題になっていた。玄関に回り込むと、玄関先が不自然な木の柵で覆われ、鉄製門扉の両脇に2台の防犯カメラが据えられている。
そして木の柵と庭木の間に張り巡らされた針金と鉄条網。それは明らかに素人の手作業によるもので、そのいびつな光景は見る者をして寒々とした印象を与えずにはおかない。
白湯のような日ざしが、鉄条網の残る家の周囲に降り注いでいた。呼びかけてみたが、返事はついぞ返ってこなかった。結局、彼女には会えないまま、手紙を残しただけで退散するしかなかった。
どうやら鈴木さんは、今も逼塞〈ひっそく〉するようにして、この家で暮らしているようだ。家族の看病がどうなったのか、近況はうかがい知れない。もはや鈴木家とつきあいのなくなった地域住民だが、中には常識人であった頃の彼女をよく覚えているという人もいるのだが‥‥。
◆ジャーナリスト 中尾幸司